丁寧に生きること

 

ここ3年ぐらい書くことから離れていたので、少しずつ書くことを始めていこうかと。

 

2017年に書いた

 

働くよりも、生きること。

 

どのように生きたいか、在りたいかを決めることが大切。そうすれば自ずと働き方は決まってくる。

 

 

 

2018年に書いた

 

ゆるく生きること

 

 

人生にゆとりは大切。

 

 

からのアップデート、丁寧に生きること

 


 

ここ1年ぐらいで僧侶の方に会ったり、古武術の先生にお会いして、自己の価値観がわりと大きく壊れた。(ここまで崩れたのは久しぶり)

 

僧侶の方にお会いしたときは、動作の時に音もせず所作が美しい…と初めて感動した人で、2日間朝坐禅をしたりすることで、丁寧に生きることのヒントをもらいました。永平寺での修行も日常の暮らしを、より丁寧に行っているだけ。

 

坐ればわかる、という本の執筆では、自分の身体は自分が一番よくわかっている。メンテナンスは自分でする。呼吸で肩こりや鼻の通りが改善されることもあり、呼吸も意識することに。

 

家に帰ってからも(家ありますよ、定住してますよ笑)たまに坐禅したりしてました。

 

 

 

古武術の先生からは筋肉ではなく骨から動かす身体の使い方、人体の構造を頭ではなく、身体で理解することの大切さを実感。(体感はしたけど、まだまだ体得はしてないデス…)頭だけではなく、身体感覚を伴うアップデート。

 

つまり、感じることの大切さ。

 

頭で理解するのではなく、感じるためには、ただありのままに受け止める。自分と向き合い、落とし込んでいくことが大切。それがないことには始まらないかな、と。

 

 


 

 

1年前ぐらいからお茶屋さんにも会って、お茶にハマってます。

 

お茶は「時」を味わう嗜好品

 

国産の煎茶・烏龍茶・紅茶、それぞれの違い、品種・産地・茶園によっても様々に違い、さらには急須や湯呑み、水や温度、何煎目かによっても確実に変わってくる面白さ。

そしてそれはお茶と向き合うことで見えてくる部分であり、奥深さ。(深すぎる、この世界…)

 

お茶を通して紡いでくれる関係性、豊かさに繋がっている。

 

 

 

福島でたまに行く飲食店は器を持つことが気持ちいい。自分の手に馴染む感じ。

 

器を持ち、一口ずつ味わって食べる。あぁ…美味しい。

この空間で、この料理の提供方法は丁寧に食べるように仕向けられた環境。

 

器を持ちたくなるってなにこれ…うわぁ…ずるい…!笑

 

この心地よさも、一呼吸おくことで、手で感じることで気づけた。

 

 


 

 

先月はなぜか10日間で真言宗の僧侶3人に会ったり、お寺の空間や空気感、エネルギー値の高さについて感じることも多い。

 

坐りたくなる瞬間、深く呼吸をしたくなる空間、ただただ、感じていたい空間…。

 

そういったことを経験すると、それ以外の場所でも同じような空間、空気感を感じると、そのような感情・行動に至ることも多くなってくる。

 

感じる力

 

それには自然と丁寧な生き方、一呼吸おく、間を持つことが感受性を豊かにしてくれる。

 

そして丁寧な暮らしをすることで、人やモノコトとの関係性も丁寧になっていく。

(作務衣や和蝋燭、曲げわっぱや漆マグの話とかもしたかった…笑)

 

現代において本物のモノに触れる機会が少なくなってるけど、本物に触れることで、自分の中の認識が変わり、丁寧さに繋がっていく。

 

自分で少し意識する、または本物の人やモノに触れることで丁寧になる瞬間を増やしていく。

 

ゆるく生きることから丁寧に生きることへのアップデート。

 

2023年の梶は丁寧に生きることを。

 


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