なぜパラレルワーカーに?part1

日本人

 

「なぜパラレルワーカーになったのか?」(今回は就活〜旅人期間中)

 

 

 

について書きますか。

 

まず梶が何者なのかを知りたい方は

こちらを参照していただいて、そこから。

 

 

 

履歴書

 

 

 

 

 

就活して入社したのが銀行。

 

コンサル、繊維、IT、人材。。。

いろんな業界を見て、どれも面白そうだったけど、そこにご縁があったから。

 

 

 

最終面接で

 

「第一希望じゃない」

 

 

て素直に伝えても、採用してくれる、懐の深さを感じたから。

自分の意思を尊重してくれる、内定縛りをしない、拘束しない企業なんだなって。

 

 

ここなら自分らしく働けるかなって。

 

 

 

 

 

 

 

日本人

 

 

日本人

 

(そう、日本で日本人らしく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、

「そこで一生働く」というよりまずは「社会を学ぶ、働き方を学ぶ」生き方の選択肢を増やしたい。

 

ていう気持ちだった。

 

 

 

だから3年はいようと思うけど、

そのあとは転職したりすることを前提に働く、と入社前から考えてました。

 

 

まぁそれで働いてみて銀行がずっと働ける場所って思ったなら、そのまま働けばいいかなってー。

 

 

 

 

 

外を知るからこそ、中の良さがわかることもある。

逆もまたしかり、だけど。

 

 

 

 

 

 

みーちゃん

          

          (←日本人      タイ人→

 

 

 

 

 

 

 

営業になって

いろんな仕事、いろんな働き方、いろんな生き方があるって知った。

(うちの営業は法人・個人・融資・預金・保険、お金に関することは全て関われるから間口が広い。)

 

 

 

 

 

(勤務地の)大宮だけでこれだけの仕事、働き方、生き方がある。

そしたら

それを全国に広げたらどーなるんだろう??

 

 

 

 

地域によっても全然違うだろうし。

一体どんな働き方、生き方があるのかなー??

 

 

 

 

 

 

 

滝行

 

(こんな生き方もね。)

 

 

 

 

 

 

 

それを知った上で、働き方、生き方を選択してもいいんじゃないかなって。

 

 

ただ大学行って勉強してるだけじゃわからんて。

そんなん教科書になんか載ってるわけないし、誰かが教えてくれるわけでもない。

 

 

 

誰かの人生を生きるのではなく、自分の人生を生きるんだから。

 

 

それも旅に出るきっかけのうちの1つ。

 

 

 

 

 

出発

 

 

 

 

 

 

 

知ってから行動するならそれは遅くないし、

もし気づいたのに行動しなかったら、それが後悔に変わるから。

 

 

 

別に職を失くしても、どーにかなるっしょ。

死ぬわけじゃないし。

そもそも安定を求めて銀行に入ったわけじゃないしね。

 

 

 

 

社会人2年目の時に

大学4年の内定後に作った「やりたいことリスト」を発見。

 

 

そしたら

富士登山やヒッチハイク、無人島生活。。。

 

 

とかって社会人になってからやったこと。

(銀行員時代ね。)

 

 

 

 

ヒッチハイク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1度思い付いたことはやらないと後悔する

そして、いつかはやっちゃうんだー、自分。。。

なら早めの方がいい、後悔する前にやっちゃうのがいいよね。」

 

 

 

て思った。

自分の心の声に素直になること。

 

 

 

 

 

 

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旅に出る前に、

なんとなーく、だけど

今はない職業に就くんじゃないかって、思ってた。

(その当時はただの銀行員の視点だったから。視野が狭くて、想像できなかった。)

 

 

 

そして

石巻でシンコーさんから自分のルーツの話

気仙沼では、誠さんから旅中の感覚で(ワクワクしながら)生活できるからここにいる、という話、

帯広では、大嶋さんからは旅人は人と人とを紡ぐ存在、という話。

 

他にも全国各地でいろんな人たちの話を聞いて、自分の糧としたけど

 

 

 

働くということについて1番影響を受けたのは

 

岐阜県山県市の集落支援員の太一さん。

 

合併によりなくなってしまった、「伊自良」という名を残したい想いを持った人。

 

 

 

 

 

連柿

 

 

 

 

 

 

地域おこし協力隊は外から入ってくる人。

集落支援員は中の人と地域おこし協力隊を繋げる役目。

 

 

中の人だからこそ、できることがあるし、外から来た人だからこそ、できることもある。

魅力を伝えてもらうのは、外から来た人の方が説得力ある

 

その中でも、旅人は最たるもの、よね。

いろんな地域を見てるんだもん。

 

 

 

そして一番響いたのが

 

「地域のプロデューサーでありながら、メッセンジャーであり、プレイヤーにもなる

 

って。

 

 

 

あ。

1つじゃなくていいんだ。

 

 

当時、頭ではよくわかってなかったんだけど

感覚ではピンときた感じ。

 

 

 

スッと自分の中に落ちてきた感覚。

 

 

 

今までの常識では、1つの職に就くのが当たり前だった。

でも、

1つじゃなくていい

自分で無理に抑えなくていーんだよって。

 

 

 

間違いなく、ここで教えてもらった。

旅中はまだ自分の中で落としきれなかった部分があるけど、今ならわかる。

言葉にできる。

 

 

 

やりたいことがあるなら、無理に抑えなくていい。

周りに合わせなくていい。

常識に縛られて動けないのが一番もったいない。

 

 

 

盛岡で言われた

 

「変人が世間の常識を変える」

 

よく考えたら、周りには変人ばっか。

そんな環境にいるんだもんな。

 

 

常識なんて越えていくもの。

 

 

 

 

 

こんな出会いがあったからこそ、今の自分がある。

そんな出会いがあるからこそ、動く自分がいる。

 

 

続きはPart2で。

 

 

 

 

 

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